母とのやり取りから。


アダムさんに促されて始まった
母との時間の振り返りは

想定を遥かにこえて、
膨大に広がっていきました…(苦笑)



先日「母と展開した昔話」は、
私の娘が従姉妹と(母にとっては孫2人)楽しそうに遊んでいるのを
眺めながら展開しました。

「いっつも2人は楽しそうだね。
ケンカとか全然しなくて。」と。


私は
母の手を焼かせて育ちました。

幼稚園の頃は泣き虫で、
野菜がほとんど食べられない
超偏食&少食で

工夫して作ってくれたおかずを
私が食べられなくて、
母が泣いてしまったのを
今でも覚えてますし、

妹が生まれて
「お姉ちゃんになったんだから
しっかりしてね」と
繰り返し言われたことに腹を立て、
「好きで一番早く
生まれてきたわけじゃない!」と
ぶちギレたり…
(いいえ、自分が
決めてきてるんですけどね…笑)

校則がないのをいいことに、
高校生からパーマをかけて、
派手な色のマニキュアを塗って
ハラハラさせたり…と

私の娘のような穏やかさは、
まったく
持ち合わせてなかったんですね。

それで、
「私が母親だったら、
私みたいな子って
すごく育てにくくて悩んだと思う。
ごめんね~」と謝ったんです。


ところが母は、
私が芯が強い子だから
「この子は大丈夫だ」という
感覚があって、
「子育てには
ほとんど悩まなかった」って言うんです!
「相性が良かったのかしらね~」と。


この中で、りかこさんが

『共同創造』していても、それぞれが体験している現実は、厳密には異なってます。

と書いていらっしゃいますが、


この母とのやり取りは、
まさにそれを象徴してますよね。

同じ映画を観ても
印象に残ってるシーンや
感想が皆違うように

親子でも、恋人でも、
同じ出来事を経験しながらも、
味わっている部分は
それぞれの魂に応じて違うんですよね。


そのうえ母に、
「小さい頃の話になると、
まきちゃん(そう呼ばれてます)には
嫌だった想い出が沢山あって、
楽しい話があまり出て来ないから
残念な気持ちになるのよ」とも
言われて、はっとしました。


旅行や外食に連れて行ってもらったり、
家族でゲームしたり、
そういう想い出も
たしかに沢山作ってもらったし、

私の服をミシンで縫ってくれたり、
手編みのセーターや
手の込んだ夕飯など、

母は本当に
家族を大切にしてくれたけれど…


ウチは両親の仲が悪くて。

子供達が寝てから
(…と両親は思ってたでしょうけど、
私は眠れませんでした)
大声でしょっちゅう喧嘩をして、

中学生くらいになると
翌日母が私にその愚痴をこぼしてきて。

聞かされて一人、
「離婚するかも…」
「困るけど、無理に一緒に
いる方が不幸なんじゃないか…」と
誰にも言えずに悩んだりという毎日が

楽しかった出来事を
帳消しにするくらい嫌でした。

ここについては、これまで何度も
セラピーしてきたんですが、
まだ掘り下げが足りない感じが
今、また湧いてきました。


父と母の関係が
上手くいってなかった理由についても
私なりに俯瞰できてるんですが

私のこれからに反映できる何かが、
まだあるのかも知れません。


ふぅ。
アダムさんに言われなかったら
スルーしちゃってましたね。
両親との色々。

お話会までにやっておく「禊」として
最適、ということなのでしょうか。


記事は次に続け、
この周波数をしっかり抜けてから、
皆さんにお会いしたいと思います。

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